【台風】外国籍住民が避難するまでの経緯 まとめ
みなさん、こんにちは。
MIKIです。
2019年10月12日、台風19号が伊豆半島に上陸し、関東甲信越地方を中心に大きな被害がありました。
私の出身地でもある上田市とその周辺は橋の決壊や千曲川の決壊など、今まで経験したことがない被害を受けました。
長野県上田市は外国籍住民が多く住む集住都市でもあります。
今日は私の友人たちでもある外国籍住民たちが体験した避難までの経緯をまとめました。
彼らの災害に対する気持ちと不安をご理解いただける助けとなりますように。
Sさんの場合
出身:南米
滞日歴:15年ほど
家族:夫婦、学齢期の子が二人。
日本語:日常会話はOK。漢字は簡単なものはOK。ボランティア教室でたまに勉強。
[chat face=”man1″ name=”” align=”left” border=”blue” bg=”blue” style=””]夜、8時くらいに避難所へ行った。雨がたくさん降ってたし、ニュースになってたから。指定されていた避難所へ行ったけど、満員だった。近くの違う避難所へ行ってと言われて、そこへ行った。[/chat]
一家の大黒柱として、家族を引き連れて行ったのだろうと思います。
彼ら家族は私も企画運営に参加した「母語とやさしい日本語で考える防災減災講座」にも参加してくれていました。
比較的、防災意識は高いほうだと感じます。
Mさんの場合
出身:南米
滞日歴:約20年
家族:夫婦、学齢期の子1人
日本語:日常会話OK。ボンランティア教室で勉強中。教室に来た学習者の通訳も。
[chat face=”woman1″ name=”” align=”left” border=”blue” bg=”blue” style=””]避難所は初めて行きました。初めは行きたくなかった。でも、消防団の人が来て、何回も「避難所に行って」と言ったから、行ったの。[/chat]
なぜ、避難所へ行きたくなかったのか、聞いてみたところ、
「日本人ばかりいるから」
これには、正直驚いた。
というのも、彼女はボランティの日本語教室ではスペイン語の通訳も買って出てくれたり、お料理教室でも講師を務めてくれるほど明るく、日本語は上手だから。
ボランティア教室で見せる彼女の姿からは想像ができない言葉だったのです。
きっと、日本社会の中ではいろいろと苦い経験をしているのだろうと、申し訳ない気持ちになった瞬間でした。
Yさんの場合
出身:南米
滞日歴:25年以上
家族:独身。姉妹夫婦と同居。
日本語:日系2世。日常会話は問題なし。日本語で履歴書も書ける。
[chat face=”woman2″ name=”” align=”left” border=”blue” bg=”blue” style=””]避難所?行かなかったよ!緊急メールがうるさかったね。細かい字だから、よく読んでない。道路が壊れててさ、見に行っちゃった。[/chat]
「ちょっと見てくる」は日本人のおじいちゃんだけではなかった。
これは厳重注意しておきました。
日本語力、日本滞在期間の長さからでしょうか、避難所へ行く意識は薄かったようです。
彼女も前述の「防災減災講座」には参加していたのですが、避難所への敷居は高いのでしょうか。何か、思うところがあるように感じました。
まとめ
ざっと3名ほどの方に電話連絡をした時に、お聞きした情報を共有しました。
ここから見えてきたことは、
・避難所へ行くという行動を起こせるのは日本語力ではない。
・指定の避難所へ行っても、違う避難所へ行くように指示されることがある。
・日本人ばかりの避難所へ行くのは抵抗感がある人もいる。
・しかし、説得することで避難に踏み切れる。
ただ、とても残念に思ったのは、市役所からの避難を促すメールが届いていなかったこと。
登録をしていないのかと思い、私も探してみたが、該当ページを見つけることができなかった。今後も調査していきたいところです。
大事なのは、行政からの働きかけと地域住民の声かけ、そして、外国籍住民の防災意識への関心が命を守ることになるのではないかと思います。