JICA日系社会のボランティアが現地で願うこととは。
みなさん、こんにちは。
MIKI(@okmymiki)です。
最近、YouTubeでこんなビデオが公開されました。
2018年に派遣されたJICAの日系社会青年海外協力隊の有志のみなさんが作ったビデオです。
で、私はこんなツイートしてます。
現地の #日系社会青年ボランティア が作ったパプリカの動画が素晴らしいから、みんな見て‼️
【メイキング付き(COM MAKING-OF)】「パプリカ」〜ブラジルから日本へ〜 (Papurika do Brasil para o… https://t.co/uXk5suuoSd @YouTubeより
— OKAMIYA, Miki (@okmymiki) December 21, 2019
私も2005年にブラジルのパラナ州に派遣され、現地の日本語学校で日本語を教えていました。
2年間という短い期間での活動でしたが、日々迷い、 喜び、怒りながらの濃厚な2年間でした。
その濃厚な時間の中で思うことは今も変わらないんだなということを感じ、この記事を書いています。
このビデオで私が考える「ボランティアが願うこと」を書いてみたいと思います。
JICA日系社会青年ボランティアとは
現在は「JICA日系社会青年海外協力隊」という名称に変更されています
中南米の日系社会において自分の知識や能力を生かして現地の日系社会で共に生活し、協力し中南米の発展に貢献していく活動をします。
詳しくはJICAボランティア派遣事業のページへ。
なぜブラジルに日系人がいるの?
ざっくりとご説明します。
1888年にブラジルはそれまでアフリカから連れてきていた奴隷を解放しました。
広大な農園で働いていた奴隷たちがいなくなり、ブラジル政府は慌て、日本からの移民を受け入れることにしました。
当時、日露戦争後で日本も貧しかったので「チャンス!」とばかりに、ブラジルへ渡る日本人が多くいました。
それが1908年のことでした。
その後も第二次世界大戦などもあり、総勢で13万人の日本人がブラジルへ移民として渡ったと言われています。
現在は約190万人の日系人がブラジルで暮らしていると言われています。
ブラジルの日系人たち
私が出会ったブラジルの日系人たちは日本に対して「憧れ」「誇り」を抱いています。
日系人としての誇り
ブラジルでは日系人は「Nikkei」と呼ばれることがあります。
そしてその呼称に日系人たちは誇りを持っています。
移民として来た日本人たちはブラジルで苦境の中、働き、子どもたちへの教育を怠りませんでした。
そんな彼らはブラジルの社会で「勤勉」「真面目」ということで、尊敬の眼差しで見られています。
市長さんや大企業の社長さんが日系人ということも珍しくありません。
日本への憧れ
そんな彼らにとって、やはり「日本」という国は一度は訪れたい国です。
私が出会った日系の方の中には「死ぬまでに一度は行ってみたいんだ」と遠くを見つめて仰っていたのが印象的でした。
そして、ブラジルでは「Nikkei」と呼ばれていた彼らが求める「日本」は同じ日本人として受け入れてくれるという強い気持ちもあったようです。現実は違うとしても。
ボランティアが願うこと
こうした日本への強い感情を持つ彼らを目の当たりにしたボランティアは何を感じるのでしょうか。
もちろん、個人個人違うでしょう。
しかし、冒頭のビデオを見て、私はブラジルで感じたあの時の気持ちがこみ上げて来たのを感じました。
「日本人に南米にいる日本人のことをもっともっと知ってほしい」ということです。
日本の反対側に国で日本へ憧れを抱いていてくれる日系人のことをもっと知らせたいんです。
現地ブラジルにいると、日本人はここにいる日本人のことを知らないし、知ろうともしないことに歯痒さを感じてしまいます。
もっともっと知ってもらえる!
でも、現在はSNSなどでシェアし、拡散していくことができます。
この手を使って、知ってほしいなと思います。
私もJICAの出前講座で小学校や中学校、高校などに出向くことがありますが、SNSの力も大いに使って、みんなに知ってもらいたいですね。
で、わたしも日本からブラジル含む南米に向けて、パプリカプロジェクト、やってみたい!!
楽しくなって来たーーー!!