日本語教師になりたいわけではなかった。

Nihongo friends のみなさん、こんにちは。

MIKIです。

日本語教師を始めて20年くらいになったMIKIです。

歳とりましたね。

駆け出しの日本語教師だった頃は、何もできない自分がもどかしくて、学生より若い自分が恥ずかしくて、早くこの歳になりたかった。

そう、私にも若い頃があったんです。

先日、キャリア教育の一環として高校の授業にお招きいただき、高校生たちにお話をしてきました。

その時のお話をこちらでも、お話ししたいと思います。

今回は日本語教師という職業の存在を知るところをお話ししたいと思います。

それでは、早速いってみよう!!

どんな子どもだった?

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そんなにさかのぼるの???と思った方、お気持ちわかります。

私も今回のキャリア教育のお話をいただかなければ、気づかなかったある点を見つけたのです。

それは小学生の頃から、旅番組が大好きで、「世界ふしぎ発見!」ミステリーハンターになりたかったくらい、海外への憧れが強かったという点です。

テレビに映し出される、見たことにない風景を食い入るように見ていました。

真っ白な壁が並んでいる家々に真っ青な空の風景や

落書きなのか、アートなのかよくわからない路上の絵や

レンガの広場でおじいさんや子どもたちが楽しそうに談笑している姿

そんな ここにはない日常に心を惹かれていました。

高校時代、ピンチ!!英語が苦手科目に。

高校生になっても海外への憧れは強くなるばかりでした。

英語教育に力を入れていた学校に進学したということもあり、勉強はハードでした。

海外へ行くなら、英語ができなければならないと思い、英語も好きだったし、勉強もがんばっていました。

しかし、英語の成績は芳しくなく、だんだん苦手意識を持つようになりました。

英語は好きだけど、このままじゃ、海外の道は途絶えてしまうと思い、挫折感を味わった高校時代でした。

救いの科目があった!!

大学受験を控えた高校3年生の頃は将来何をしていいのか、何ができるのかわからなくなっていました。

模試の結果などを眺めていたら、安定して得点が取れている科目があったのです。

それは国語でした。

現代文、古文はほとんど勉強していませんでしたが、安定の偏差値でした。

古文は文法中心、暗記中心の授業でしたが、平安時代の言葉や風習に「まじかー?」と思いながら先生の話を聞いていた覚えがあります。

英語にはそっぽを向かれてましたが、国語はそっとそばに寄り添っていてくれていたんです。

進学先は日本語日本文学科

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「国語」に対して、英語ほどの興味や情熱を持っていたわけではないので、大学へ進学しても、やりたいことは見つかりませんでした。

大学へ進学しても海外への憧れを捨てきれないまま、夏休みを利用して短期語学留学でアメリカへ行くことにしました。

アメリカで大失敗!!日本のこと、全然知らない!!

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憧れの海外での生活に胸を躍らせていました。

学校の宿題で「日本の文化についてホストファミリーに説明しなさい」というものがありました。

当時はインターネットが一般的ではないし、スマートフォンもあるはずもなく。

持ってきている本は「地球の歩き方」。

「ひな祭り」を「It’s a festival for girls.」というのが精一杯でした。

日本について質問されても、ほとんど答えることができず、自分の無知さ加減にショックを受けました。

持って行くならこういう本。

帰国後、日本について学ぼうと決心しました。

ふと気がつくと、通っていた大学に「日本語教師養成過程」があることに気がつきました。

しばらくは日本語教師は眺めているだけ。

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当時、国語の教師を目指して、教職課程を取っていたので、そこにさらに日本語教師の単位を取るのは難しかったです。

「そんな職業もあるんだな」と眺めているだけでした。

さぁて、次回のお話は・・・

今回は日本語教師の存在に気がつくまでのお話となってしまいました。

次回は衝撃的な出会いをし、そこから日本語教師を本格的に目指すことになります。

(現在執筆中)

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